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【感想】サクラノ詩、感想

 とっても間が開いた更新になりました。最後にエロゲの感想を書いたのが2か月前。1か月くらいは別のことをやっていたのですがここ一か月はサクラノ詩をず~っとプレイしていました。なんせボリュームが凄すぎる。そしてとても考えさせられる。よってこの感想文もとても長いものになります。また恥ずかしながら自分は知見が狭く考察や批評と呼べるようなものを書ける自信がないのでそこは悪しからず。

 

 最初は複雑で、難解だなあという印象ばかりでした。特に用いられてる詩なんて最初は意味も分からず、考えずに飛ばしていたものです。しかし、ゲームを進めるとともに徐々にその難解な言葉の数々が紐解かれていく…。なおかつ我々プレイヤーの考える余地も多く残されていて、心惹かれました。

 

というわけで以下より感想

 

ⅠFrühlingsbeginn

Ⅱ Abend

 

 

 題名のFrühlingsbeginnは春分という意味だそうです。春分は春の訪れを告げる時。ここから今回の物語は幕を開けました。

 そしてAbendは夜を意味するドイツ語。この章で象徴的な「櫻達の足跡」を作った夜のことを指すのでしょう。まさに青春!って感じのイベントですが後々にたくさんの意味をもたらします。

 

 このなが~いお話の導入部ということでその分量がありましたね。キャラクター紹介や伏線が張られていきます。まあ実をいうとここら辺は苦痛でした。というかサクラノ詩全体のギャグの空気感があまり好きじゃない・・。意図的に軽い感じにしてるのでしょうがトーマス、だの明石だのあそこら辺のギャグパートは特に苦痛でしたね。トーマスはもうちょっとどうにかならんかったのか。


「我々が何のために作品を作るのか……それさえ見失わなければ問題ない……。
そこに刻まれる名が、自分の名前ではないとしてもだ……」

 

 「櫻達の足跡」の制作者をめぐって明石が直哉に伝えた言葉です。この言葉が後々になっても直哉に深く影響をもたらします。

 

 またこの時点で様々な詩が提示されます。春と修羅の序や在りし日の詩の春日狂騒、横たわる櫻の裏に描かれた健一郎の詩など印象的な詩が数多く登場しますがこの時点ではいまいち理解できません。その後の物語とともにこれらの詩が我々にもわかりやすく紐解かれていくのがこのサクラノ詩の魅力の一つです。

 Abendの序盤にあるプールでの里奈と優実の会話が地味にお気に入りです。

 

Ⅲ PicaPica

 鳥谷真琴ルート。一番普通な(ギャルゲ的に)ルートです。才能を持った者たちに憧れるも決して手の届くことのなかった少女の話。これから先が割と才能持ってる人たちがバシバシ話に絡んでくるので対比的な意味合いを持つルートです。正直、長いし話が割と散らかっていてプレイしているときは苦痛でした。

 最後まで直哉の心を動かすような作品は作れないわけですが、ここはV章で直哉の心を動かした圭と対比になってるわけですねえ。最終的に芸術の道をあきらめ直哉と愛に生きることを決めるわけです。これから才能に満ち溢れた人々が出てくるわけですが、ここで立ち止まって才能を持つもの持たないものについて考えさせられます。

 ただそこに在る日常を愛していく、という幸福の在り方が描かれています。これはこれで素敵なのですがどうしても夢を失ったという虚無感が脳裏をよぎる少し寂しい終わり方です。

 あとこのルートは特に芸術に直接触れることが多くて大変だった…。実在する作品なら調べれば事が済むのですが、真琴が作った作品や贋作の絵画等は芸術の知見がない自分にはどうしても想像で補完できなかった、少し残念な点です。

 

Ⅲ Olympia

 御桜稟ルート。ここも導入部的な意味合いが強いです。サクラノ詩のイチャイチャシーンは全体的に苦手なのですが、ここは特にひどかったですね…。恋愛に対してボケタリ鋭くなったりするのが余りに作為的過ぎて見てられませんでした。ただ後半から物語が進んで面白くなりました。思ったよりオカルトが絡んでいて面喰いましたがその後の物語の伏線として素晴らしかったと思います。ただ話単体で面白いかといわれると非常に微妙でした。本番は次からです。

 

Ⅲ ZYPRESSEN

Ⅲ Marchen

 直哉への思いを募らせる里奈、里奈への思いを募らせる優実、そして直哉の三人の視点で話が動きます。3人が並行して話を進めるわけですが、このルートは優実が主軸のルートであると感じました。優実が(掛け替えのないもののために)愛するものを失ったZYPRESSENと(ゆがんだ形で)愛を手に入れたMarchen、どちらも優実の視点で話が終わることからしても彼女がこの話の本筋であるといえると思います。ここもギャグルートが苦手で優実には苦手意識があったのですがこのルート終わってからは好きなキャラの一人です。

 このルートでは優実を語るうえで重要な詩が二つ提示されます。春日狂騒と一つのメルヘンです。彼女はどうしても遂げることのない愛を夢見ていた。一つのメルヘンを。愛する者のためにそんな夢を捨てて小さな一歩を踏み出していく海でのシーンは名シーンの一つですね。春日狂騒をうまく物語に落とし込んだいいルートだと思います。

 Marchenでは春日狂騒を屋上から投げ捨てて物語が閉じます。このルートでは叶うはずもない歪んだ愛を貫いて、奉仕精神など糞くらえと投げ捨てるわけです。正直このルートはBAD感がしました。里奈も別人みたいになってるし、こんな歪んだ愛は本当に欲していたものなんでしょうか。最後に優実がつぶやいた「あばよ、でくのぼう」はおそらく千年桜の暴走を止められなかった直哉への怒りでしょうか。(こんな生き方を選択してしまった自分への怒りも含まれているように感じました。なんで里奈を奪ってくれなかったんだよ役立たずてきな)

 このルートは地味に一番沖に理いかもしれません。過去話も絵が凝っててよかったし死生観に関する会話もよかった。死すらも覆す芸術。直哉の存在感が印象的に残っています。

 

A nice Derangement of Epitaphs

  雫ルート。もしくは葛。直哉が贋作である櫻七相図を描くことで雫を救うといったお話。ここでは贋作と真作の違いについて語られます。直哉は、櫻七相図は装置に頼り健一郎の作品を元にして作ったものですからあくまで贋作であると主張します。贋作と真作の違いはどこにあるのか、ひいては芸術の価値はどこで決まるのか、というものを考えるきっかけになる章といえるでしょう。直哉は贋作として作ったこの作品を父の健一郎らに芸術として認められます。

 後半では稟が如何にして才能を失い吹が生まれたか描かれます。Vへの布石的意味合いが強いですね。

 

IV What is mind? No matter. What is matter? Never mind.

 「心とは何か?物質ではない。物質とは何か?決して心ではない。」

 「心とは何か?どうでもいい。物質とは何か?気にすんなよ」

 この章では健一郎と水菜の過去から心と体とは如何なる関係にあるかが語られました。ここら辺の騒動は割とガバガバだったのでまあ答え合わせ的に見てましたが、健一郎がそんな過去を振り返って祝杯を挙げてエンディングに移行するシーンは素直にかっこよかったです。こんな素敵な話をした後に今が幸福だといって酒を開ける、この幸福論がⅥにもつながっていきます。

 

V The happy prince and other tales

 自らを投げ捨て奉仕の精神で他者を救ってきた幸福の王子である直哉の終着点とでもいえるべきルート。この作品のテーマが「幸福の先の物語」であることからこのV章とⅥ章は最も重要であるといえます。

 この章で直哉は幸福な王子と同様に全てを分け与え、最終的に親友である圭、ツバメを失ってしまいます。果たしてこの生き方は正しかったのか、間違っていたのか。直哉がこの生き方を否定すると藍ルート、わからないを選択し幸福な王子としての生き方を選択することでⅥへと続きます。

 そして天才性を取り戻した稟と最後の対話が始まります。ここが結構長くて様々な引用や哲学の思考があって面白かったのですが要約すると稟は強き神を、直哉は弱き神がいると主張します。これは美についての対話なのですが世界と自分の関係にも置き換えられます。すなわち強き神がいる世界では人が神を模倣し、弱き神がいる世界では神が人を模倣すると。人を模倣した神なんて弱いに決まってますよね。人なんてものは簡単に考えが移ろうものだし、絶対性なんてものは存在しえないものです。しかし人ありきだからこそその神は我々が信じれば絶対に裏切らないと。

 あるいは稟のような才能にあふれた人間になら絶対的な神は信頼に足るものなのかもしれません。手を伸ばせばいつでもそこにあるのですから。ただ我々のような才能のない人間は弱い。絶対的な神に手を伸ばし続けることはそう簡単じゃない。だから僕たちは僕たちの頭とおんなじ大きさの世界で数少ない幸福を手一杯広げてつかみ取らなくちゃいけないのかもしれない。でも弱いからこそ辛いこともある。そんな辛い毎日を体現したのが6章といえるでしょうか。

VI     

 幸福の先の物語。弱き神を信じた直哉のその後の話です。とりあえずこのルートは女の子がみんな可愛かった・・・wここまでやってきて感想それか!って感じですけどルリヲさんがドストライクでした・・・てかみんな可愛い・・・。彼女たちの物語を描く必要がないのであまり影がないからですかね、シンプルに萌えることができる。ちなみにサクラノ刻のサイトでキャラクター一覧にルリヲさんがいないのが非常に不安です・・・。あと社会人鳥谷も可愛かった。。藍ちゃんが30半ばじゃないのかって話はやめておきます。

 ここでも長山が大活躍でしたね。一番名言を残したキャラでもあると思います。長山達によって「櫻達の足跡」が穢され先鋭性を売り出して見世物にされようとします。芸術の価値とはいったい何処にあるのか、それを問い直すようなイベントです。

 

 そして全てを終えた直哉は酒を浴びるように飲み、夏目の屋敷で吐き気を催しているところに藍がやってきます。今作で一二を争うレベルで好きなシーンです。藍は寄り添って話を聞いているだけなのですがそこに本当の愛を感じます。


「人は一人で生まれて、一人で死んでいく
その間だけでも、その寂しさがなくなればいいと考える
もしかしたら、愛っていうのはそういうことなのかもしれない・・・って思うんだよ」

 そしてここで直哉は幸福について語ります。人生で最高の瞬間とは、幸福とは、この作品のテーマに対する答えといえるでしょう。

 親友である圭をなくし友は町を離れ芸術家としての夢をあきらめすべてを失った、幸福の先に立った直哉は果たして幸福を失ったのか。弱き神は時に人を傷つけるもの。それは絶対ではないのだから、迷い、間違い、傷つく。そこに人は不幸を感じる。だからこそその分人は幸福を感じることができる。弱き神だからこそ幸福を感じられる。辛くて平凡な日常でもきっとサクラノ詩は聞こえている。これらのことから結局のところ幸福とは苦しさと嬉しさの輪廻じゃないのかと私は考えました。欲望を酒で満たすだけが幸福ではない。

 そういった意味でこの章ではずっと直哉を見守ってきた藍と家族の関係で手を取り合ってエンドになるわけですねえ。愛は何たるかひいては幸福とは、を現した良いキャラクターです。

  強き神を欲望を満たすことで生まれる幸福だと評している方がいて目からうろこでした。 幸福とはそのような絶対的なものではない。そのようなものだと人は際限なく欲してしまうしきっと馴れてしまう。だから直哉には藍のような弱き神が必要なのだと・・・ここら辺はほぼ受け売りですがメモ代わりに書いておきます。人は何かを信仰したときそこに弱き神が寄り添い続ける。そこに幸福は在る。

 

 picapicaで芸術家としての夢をあきらめた真琴と、ZYPRESSENで愛するものを失って歩き出した優実、このあたりが直哉と重なるのはすごい切なくて好きです。

  その時微かに、サクラノ詩が聞こえた・・・。からのOP櫻の詩。もう言葉に言い表せません!!ここは!最高!

 

BGMもほんと最高なのばっかりでしたね、桜の詩、天球の下の奇跡も最高ですが個人的には在りし日のためにのイントロ、「ありがとう、在りし日」からのメロディーが好きです。

 

 

 正直自分の解釈が浅すぎて書いてて少し嫌になってきました。いろいろな方の批評を見るとふわふわと理解はできるのですが如何せん言葉にするとなると難しい。やはり理解がまだ浅いのか、書く力が乏しいのか、おそらく両方でしょうね。

 芸術の話と幸福論をごっちゃにして考えすぎたのがいけないのかもしれない。うまくそこら辺がつながっている作品なのだろうが特に芸術方面には理解が乏しいから分けて考えるべきだったのかもしれない。あと下手に纏まった感想を書きたがるというか、もう少しその場その場での気持ちを重視してメモを多めに取りながらこれからゲームやっていきたいなと思いました。素晴らしき日々をやってなかったのもこの作品の消化不足につながっているかもしれない。今積んであるゲームを大方やったら素晴らしき日々にも手を付けよう。。

 ただそれでも何も考えずに日々を受け流すのではなく、そんな日々に疑問を投げかけ思索の時間を作ってくれたサクラノ詩に感謝します。面白い面白くないとかじゃ評価できないけれどやってよかったと思える作品だと思います。サクラノ刻が出るころにもう一回くらいやりたいな。10年後か~!

 

瞬間を閉じ込めた永遠

自身がないのですがメモ程度に最後にこのテーマについて。

これを読み解くカギになるのはⅥ章での直哉の芸術観ですね。

「この絵にやどった神は、永遠の相だ
この感動は一瞬だが、永遠だ」

すばらしき刻、瞬間を閉じこめた永遠こそ、
わたしたちの意味、そして意義だと君は知るだろう

また長山に対しても芸術とは見ることによって(弱き神によって)更新されるといっている。その瞬間(作品)は見る者が更新し続ける限り永遠の価値を持つだろう。

そしてまた芸術だけでなく人生の上で何か幸福だった、感動したその瞬間はその時だけのものではなく永遠に我々の人生に意味をもたらしてくれるだろう。だからこそ我々はそんな過去を積み上げてきた今を精一杯に肯定できる。ありがとう、在りし日。